ネイルスはニコールになった

"もう私はありのままの私になれる"

 

*原著, Neils werd Nicole, LGK T&T website200211月にドイツで公表されました。

  

Translated into English by Barbara Blake (バーバラ・ブレイクにより英文に翻訳され、 Sonia Johnにより編集されました。

 

The ariticle was translated into Japanese by Dr. Masao Takagaki and was reviewed by Mr. Hiroshi Nakao.  高垣雅緒医師により日本語に翻訳され松尾寛によりレヴューされました

 

 

 

 

ニコール・ロウケマは13歳の少女です。2年前まではネイルスという名の少年でした。彼は幼い頃から自分の性を変えようと決めていました。それで両親と相談して少女として生活し始めることにしたのです。ネイルスは自分自身少女だと思っていますし,少女としてお出かけします。しかし彼女は18歳になるまでは性再判定手術を受ける事が出来ないのです。

 

 

 

幼い頃

“2年前私たちが大学医療センターからネイルスの心理検査結果を受け取ったとき私たちは安堵しました”と、フリーズランドにある彼らの家の居間でニコールの母グリート・ロウケーマは語ります。ついに分かったのです、つまりネイルスはまだ幼いけれども彼は自分では女の子だと感じていたのです。彼の心の状態に対する医学診断は性同一性障害というものでした。心理検査結果によるとネイルスは女の子であるべきであると結論付けられていました。そうした一種のお墨付きを貰ったことでわたしたちはもはやネイルスの事について公然と語る事が出来るようになったのです。ネイルスを男の子だと信じて疑わなかった夫でさえ“分かった、そうなんだ”と理解を示すようになりました。

 

ネイルスが非常に幼かった頃でさえ、グリートはいつも彼は他の息子とは違っていたことに気づいていました。“彼はおとなしくて、優しく、忠実な子供で、いつも一人でいました。3歳の時、彼は姉のようになりたいと思い姉の服やスカートを身に着けるようになりました。”姉とは8歳も違っていたのに、彼らはいつもお互い機嫌良く一緒に遊んでいました。学校ではまるでよちよち歩きの赤ん坊のようにいつもお人形コーナーでネイルス見つける事が出来ました。そして5歳の誕生日の時バービー人形以外はなにも欲しがりませんでした。“わたしはそれが決して奇妙だなんて思っていませんでしたし、それどころかこれでもかと注意深く観察していました。そしてネイルスにはそうすることが当たり前で自然のことなんだって思うようになりました。

 

検査

ネイルスは6歳になった頃から自分が女の子であることをあからさまに話すようになります。女の子でありたいと思う不安のあまり、学校に居る時や夜ベッドに入ってからもお漏らしをするようになりました。両親は心配して彼を泌尿器科で診てもらいすべての検査を受けましたが何一つ異常がありませんでした。両親はすがるような思いで彼の周りのすべてを変えようと試みましたがそんなことでは彼の性違和感は治まりませんでした。8歳の時、精神的に問題があるのではないかと心理検査を受けることになりその結果は驚くべきものでした。検査チームの心理学者によると“我々はネイルスは女の子としての方が幸せであろうと思う”、そして“我々はもし彼が彼の気持ちに素直に従う事が許されるのなら、彼は性を変えて後に女の子になることが許されても良いのではないだろうか考えます”というものでした。

 

女の子っぽい

母親のグリートは“はじめは死んでしまいたい程に怖かった”と言います。私はそんなことが男の子にあるなんて、また起こり得るなんて思ってもいなかった。夫はほとんど受け入れる事が出来ませんでしたが、私たちははじめのうちはネイルスには何も言わずにただ注意深く観察し始めることにしたのです。私は“本当なんだわ”って、そしてまた、“いいえあり得ないわ”などと考え苦しんでいました。この頃ネイルスは学校から帰るといつもスカートをはきたがりました。学校から家に帰ると直ぐにスカートに履き替えるのでした。でも夫は帰ってくるとネイルスにスカートを脱がせようとしました。夫は息子がスカートをはきたがる事を嫌っていましたからネイルスにスカートをはかないように注意しましたがそんな事では治まりませんでした。私も彼が女の子のようなやり方で遊ぶことを止めさせようとしましたし、また女の子の服装をすることも止めさせようとしました。それでも彼は頑に女の子で居ようとするのです。私にはもうどうする事も出来ず全く絶望的になってしまいました。私は2年もの間そのようにもがき苦しみ、そして親しい何人かの友人に思い切って打ち明けもしました。友人はただ事ではないと感じたようですが、どう対処していいのか教えてはくれません。でも友人達は私の言葉に耳を傾けてくれ、いやがる事無くしゃべらせてくれました。

 

認識

グリートは性転換願望を持った子供達のテレビ番組を見ていた時に事の重大さが分かったのです。ショックでした。テレビに出ていた少年達はまさしくネイルスと同じように人形や一いろんな女の子のもので幸せそうに遊んでいたのです。それで私はネイルスのために何かをしなければならないと悟ったのです。そこでベルダッケ協会(オランダの性違和感を持つ子供達の自助グループ)を通してこの領域を専門とするコーエン教授と連絡を取るようになり、グリートはネイルスを診てもらう予約をしました。しかし彼女には依然疑問が残っていました;“これがはたしてネイルスにとって正しいことだったのか?”、と。

 

写真を見ながら

グリークがコーヒーを入れてくれている間、私たちは写真を見入っていました。そのとき二人の少女が入ってきました。ニコルスと21歳になる姉のシスカでした。彼女達は背もたれのついた椅子に腰掛けました。ニコールは長い髪をポニーテイルにしていて13歳のスポーツ好きな少女らしくジーンズと白のセーターを着ていました。目にはわずかなアイシャドーを付けていました。写真アルバムを机の上に置いて“見て下さい”とニコールが言った、“これらは私がたった4歳のときに撮ったものなのよ”。そう言って彼女はブロンズの髪をした幼い頃の女の子の写真を何枚か見せてくれました。シスカもアルバムをめくりながら笑い始め“これニコールなのよ、抱きしめたくなるような可愛い熊のミミと結婚して入籍したのよ”。そして、これは、、、あなたのお気に入りのブルーのスカートをはいている写真。“わたしのスカート!”とニコールは付け加えました。彼女は写真に釘付けになって:なんて奇麗なスカートなんでしょう、回るとスカートもくるくる回って奇麗じゃないの。

 

縄跳びがしたい

コーエン教授の最初の診察はネイルスが10歳の時でした。グリークは教授にネイルスはいつも女の子のように振る舞いそしていつも女の子のおもちゃで遊んでいたことを話しました。ニコール:“でもそれはわたしには全く当たり前のことなのよ。それにわたしは他の男の子達と違うんだなんて思った事もありません。女の子たちと女の子の遊びをする方が、ずっとぴったりしていました。”学校では彼はいつも女の子と過ごし、休憩時間には彼女達と縄跳びをしていました。“そのことが変だとか奇妙に見えるなんて誰も気付きませんでした。”シスカ:“わたしはクラスにいる同性愛の男の子を知っていたこともあり、ネイルスのことについて色々考え始めていました。彼は他の男の子達とは非常に違っていて、おとなしくて優しい仕草をする弟だと思ってました。

 

パズルの小片

ネイルスと彼の両親がコーエン教授の大学に4度通って受けた心理検査の最終結果は彼らの疑いを確かなものにするものでした。グリート:“コーエン教授はこう話しました:ネイルスはまだ幼いけれども、彼自身本当は女の子だと感じているし他の男の子のようには感じていない事を自覚しています。”ネイルス同様、彼の両親は疑問の隙間を埋めるかのようにパズルの小片を見付け始めたのです。ニコール:“それでわたしはついに完全に分かり始めたのです。私自身男の子のように感じる事が出来ないと思うと悲しくなりベッドを涙で濡らすようになりました。学校ではまったく突然落ち着かなくなりました。わたしは居たい女の子でいる事ができなかったのです。それは今思っても恐ろしいことでした。その時次のような事が脳裏をかすめたのです:わたしは学校ではありのままの私でいることが出来ないんだわ、って。家ではネイルスの名前で呼ばれたり不愉快な事から逃れることも出来た、それに私が女の子の服を着ている時やベッドの上でバービー人形で遊んでいる事など全くふざけた事ではないと思っていました。自制しなければならなかったのは学校にいる時だけでしたので、他の男の子達はわたしが女の子と女の子の話をしている時もそれほど奇妙だとは思っていませんでした。

 

逆境でのパートナー

心理検査の結果が知らされた後は事が全く素早く動いたのです。ニコールはそのとき11歳になっていました。彼らはベルダッケ協会の会合に出かけました。グリート:“我々がそこに着いた時、彼のような子供が沢山いたのでニコールは目がはじけるように見開いて見ていたのです。”シスカ:“わたしも彼と一緒にいてただ唖然と突っ立て見ていました。‘なるほど’と私は思いまた。女の子達は実際は男の子だし、男の子達は実際は女の子なのです。そこにはネイルスの置かれた状況について一つの大義名分がありました、その後はこのような子供が沢山いること、そして決して珍しくはないことに気がつき始めました。その日はネイルスは他の子供達と一緒に打ち解けて楽しく遊びました、そして同じ年頃の子供達と語り合いました。次の日彼は男の子として学校に行くのが気が進みませんでした。それでも彼は学校には行ったものの、帰ってくると私に悲しくて学校で泣いてしまった事を話してくれました。そして彼はこう言いました、“昨日はベルダッケ協会で初めて私自身で居られたんだよ”って。

 

取り越し苦労

ネイルスは学校で皆に自分の思いを話したいと思っていましたが、でもそうすることに気をもんでいました。そこでグリートは学校の女校長に個人的に相談してみました。彼女は先ずは子供達の親に話すのが最良でしょう、そすれば親達は子供に家庭で分別を持って話すでしょうと示唆してくれました。そうしてその夜にはネイルスが女の子になりたいということがグリートの口から父兄に話されたのです。グリートはその様子をこう語ります、“話をした後は死んだように静まり、わたしは手に汗をして突っ立ていました。そうすると二人のご両親が手を叩き始めて:私たちに公然と話すなんてあなたはなんて勇敢なんでしょう、というのが父兄らの反応でした。次の日、誰かの母親がリンゴケーキを私に持って来てくれました。でも私はネイルスのことが恥ずかしいなんてちっとも思っていないんです。ただ私はネイルスが理解されずに受け入れられないことを恐れていたのです。彼を本当に理解しているのは私だけだといつも思っていましたから、父兄らがこの事を自分事ではないと思うかどうか、あるいは一方で、子供の性は出生時に決定しているので変えられるべきではないと考えているかどうか、私には分からなかったのです。

 

ネイルのことについて知ってもらうためにグリートは教会に手紙を書きました、そしてそれは教会ニュースレターに掲載されました。これにより非常にポジティブな反応が得られました。グリート:“ネイルスは青少年活動の間は時々サキソホンを演奏したりします。髪を女の子のようにアップにしてピンでとめたり宝石類を身につけたりすることもありました。でもわたしはこの事にはいつも不快感を持っていました。わたしは男の人が皆思っていることを分かっていました、つまり:母の存在そのものが息子を女の子らしく女性的に見えさせているかを! 皆がネイルスのことについて知った今、そしてそれは愚かな気まぐれではなかった事を知った今、わたしはとても良い気分で居られるようになったのです。

 

ネイルスからニコールへ

ネイルスがクラスメイトの皆に彼は本当は女の子だったと話した時クラスの子供達は前向きに反応しました。ネイルスはクラスメイトから沢山質問されました。あるものは始めから何かを疑ったものもありましたが、今では完全に受け入れられています。受け入れられたことでネイルスは初めて彼自身の女の子の服を急いで買いに行きました。“それは花で飾られたチョッキと短いセーター・ドレスでした。髪を伸ばし始め、ニコールという女の子の名前を選びました。“始めのうちはネイルスを新しい名前で呼ぶのは困難でした”とグリートは言います。“それほどに奇妙な感じでした”。わたしは冗談で彼を“ハイ、ニコレッケ(NicollekeはNicoleのニックネイム)”と呼んだ事がありました。夫もたびたび間違えました。その後、わたしは夏休みに友人の家で2週間過ごす計画を立て、そこで生まれ変わった‘ニコール’を教会に連れて行って皆に会わせようと決めました。それで遂に彼女は本当の女の子ニコールになれたのです。“これが、私よ”と彼女は言いました。ニコールは彼女の女性らしい容姿や振る舞いに皆から感嘆と賛辞を得ました!

 

 

 

 

治療

ニコールは男性的成熟期を抑制するために今薬を服用していて、いまのところ男性として成熟は起きていません。これによってどんなあごひげの成長をも抑制し、声変わりを起こさないようにできるのです。性再判定手術(Sexual Reassignment Surgery;SRSまたはGender Reassignment Surgery;GRS)を後に遅らせるのは利点がありますが、ニコールは出来るだけ早くSRSを受けたいと強く望んでいます。グリート:“初めて彼女に薬を飲ませた時、‘彼女に正しい事をしているのだろうか?’とまだ迷っていました。でもそれは私たちが長い間考え抜いてきた結果なんです。手術までには、彼は重大な選択をしなけれななりません。手術までの経過は可逆的であり、そしてもし彼が望めば男性としての元のネイルスに戻る事が出来るのです。当面今はニコールは与えられた彼女の新しい社会的な役割に非常に幸せのようです。”グリートからこのように語られた後、ニコールは母の顔を誇りと愛の混ざった感情で見つめました。その時シスカが親密な沈黙を破るように:“わたしは決してそうは思っていないわ:‘そんなことしないで頂戴’って叫びたい。あなたは失敗を恐れて勇気を出して手術を受けようなんて考えないで、じゃないとまた元の男の子に戻りたいなんて悩んで、結局自分を蝕むことになっちゃう。わたしはニコールを大いに褒めてあげたいの。わたしはこれまでくぐり抜けてきた全部のプロセスを見てきました。わたしが性を変える必要を自分こととして感じるようにしてまでネイルスを理解しようと努力し、わたしはなりたいと思う自分になれると気付くようになりました。わたしは他の人の見方や意見などに捕われることなく、ニコールはなりたい自分になれるべきなんです。

 

いじめ

クラスメイトにカミングアウトして理解されたにもかかわらず、虐待やいじめはまだ続いていました。その多くは、話の一部始終を知らないか、あるいは他の‘うわさ話’に耳を傾ける他のクラスの子供達によるものです。かれらは時にニコールのことを‘女装者’のような名前で呼ぶ事があります。ニコールは今中学校に通っていますが‘学校に女装者がいる!’という話がすぐに広がりました。グリートは父兄に手紙を送りましたが、時として依然いざこざの元となりました。“最近の出来事ですが、学校の休み時間に、二人の少女がやってきて私の隣に座ったの”、ニコールは思い出すように話します。“私の隣に座っている女の子は本当は男の子だよ”、って一人の女の子がもう一人の女の子にしゃべっているのが聞こえました。わたしは女の子である事をいつも私自身が弁明しなければならないのはとても不愉快です。それでも彼女は大抵のいじめには非常に上手くやってのけます。ニコールにはすべてを分かち合える2、3人の女友達がいます。“彼女らはわたしを常に女の子として扱い、女の子ではないなどとは決して思ってないのよ。”

 

ニコールの寝室

ニコールの部屋のドアには彼女の名前でモザイクが施されています。彼女自身が作ったものです。“またいつかその上にネイルスという文字でモザイクを作ります”、とニコールは言いながら他の飾り板を見せてはそして再び片付けてしまうのです、それは彼女の過去の何かであって、現在のものではないかのように。ニコールの部屋は抱っこ人形やお気に入りのバービーちゃんでいっぱいです。黒のバービーちゃんにバレリーナ、それに妊娠したバービーちゃんまであります。“少なくとも30体はあるよ、ほら見て、子供を引きずり出すとお腹が平になるのよ”と彼女は楽しそうに言うのです。

 

 

 

 

 

苛立ちと挫折

ニコールは肉体的にはまだ男の子であるにも拘らず自分は女の子だと思ていました。“ペニスがあることにうんざりしているの”、と彼女は言う。“わたしはまだ間違った皮の中にいるのよ。”16歳になれば彼女はホルモン療法を始める事が出来るでしょう、そうしたら胸も大きくなるでしょう。18歳になればペニスを取って膣を作る手術を受ける事が出来るでしょう。それはまだ5年先の事です。“手術のことを考えるだけで体が切り裂かれる思いになり、臆病になる反面、もう一人の自分は5年経つのが待ち遠しくてしようがないって感じ。時々そんなに長く待たなければいけない事に絶望的になってしまう!”その間わたしはすべてを延期しなければならないのです。わたしはある男の子と恋に落ちました、でもわたしがまだペニスを持っている事に彼が気付けば、私にはもう何も望まないでしょう。わたしは男の子がこのことをなぜ嫌がるかは理解出来ますが、わたしを深く傷つけることでしょう。それでわたしに出来た唯一の事はお友達のところに行って話をすること、そして精一杯涙を流す事だったんです。“

 

ある日わたしは女性になる

もういちど生き生きとした様子でニコールはこう語る;“わたしいつもブラを付けているのよ。それはカップの周りに白いレースが付いてて可愛いの。”はじめはパットでブラの中を満たしていましたが、でも今はよりリアルなシリコンゲルのパットを入れていて奇麗なバストに見えるんです。ニコール:“いつかは完璧な女性になる、そして家庭を持つの。わたしは子供を産めないけど子供を養子にしたいと思っているわ。有名な女優になりたいとも思ってる”と夢を語ります。

 

 

"わたしが18歳になったらやろうと思っている事、それは完全な女になることみんなから祝福されて、、、恋もして、、、。! "

 

 

 


 

以下は原著には含まれていないがニコールを補足する写真である 

 

若いトランスセクシュアルにかんするドイツTV番組に出演しているニコール

 

 

 

 

 


 

 *原著, Neils werd Nicole, は2002年11月にドイツで性違和感症に関するウェッブサイト "Landelijke Kontaktgroep T&T (LKG T&T)", においてGijbergから48番目のお友達として公開されました。 原稿は Barbara Blake, によって英訳され、そして Sonia Johnによって編集されました。Barbaraは彼女自身10代のトランスジェンダーで、どんなことでも快く話し合ってくれます。 彼女のメイルアドレスは次の通りです barbara_blake65@yahoo.co.uk

 

Barbara Blakeによりドイツ語から英語に訳された以下の論文も参照して下さい:

NICOLE'S SPEECH TO HER CLASS: "Mummy, I want to become a girl!"

Wrong Body….They have that 'pecker'

 

 


 

 

ニコールがクラスメイトへカミングアウトしたときの原稿

 

“おかあさん、わたし女の子になりたい”

 

 

ローケマ・ニコール(13歳)は性違和感を持った子供のためのテレビ番組の主要なゲストでした。彼女はクラスメイトに彼女自身の事や性違和感のことについて話そうと決めたのです。これは彼女のその時の話の原稿です。

 

性違和感ってなんでしょうか?性に違和感を持つ男の子は女の子だとおもっているし女の子として振る舞います。あるいは逆に本当は男の子だと思っているのに女の子だったりするのです。

 

わたしはそんな男の子なんです。

 

バービーちゃんや女の子のおもちゃで遊んだり、そして着飾ったりします。3歳のときには既に男の子になんかなりたくないって思ってました。短い髪をピンアップしたりリングやブレスレットを身につけ、スカートをはいたりしていました。わたしは姉妹と遊んだり、姉妹のバービーちゃんと遊んだりするのがとても好きでした。

 

男の子なら普通はバービーちゃんなんかと遊びたがらないで、兵隊のおもちゃやカウボーイのレゴブロックなどで遊ぶのが大好きです。わたしもレゴブロックは持っていますが魔女やお姫様のレゴなんです。わたしは女の子と遊ぶのが好きだし、そうでない時でもわたし自身が女の子として遊びます。男の子はフットボールなんかのスポーツが好きですが、わたしの場合は、、、もう言う必要はないでしょう。

 

誕生日に学校へ行くといつも貰ったプレゼントの中身を皆に話さなければならなかった、本だとかゲームだとか。でもある日バービー人形をもらい、そのことは誰にも話したくなかった!また私は声が高かったのでよく女の子に間違えられましたがそれ以上の事は誰もなに一つ知らなかったのです。そして今わたしは完全に少女として振る舞う事が出来るし、そしてそれ以外の誰でもないことを説明する必要も無くなりました。

 

私は女の子の服装をしてバービー人形で遊ぶ男の子に関するテレビ番組を家族と一緒に見ました。それは私たちがその事がどういう事なのかを理解し始めた瞬間でした。続いて、わたしの両親はテレヴィに出ていたウィレムという男の子を見たとき、“性違和感”という言葉を理解出来るようになりこれこそ私が抱えていた問題なんだと。母はNCRV(オランダにあるテレヴィ放送局)に手紙を書きました、そして彼らは彼女に性違和感を持つ子供達の自助グループの電話番号を知らせてきたのです。そして母は私に診察を受けさせるためにユトレヒトのコーエン教授のところに診せに連れて行きました。コーエン教授は私の両親と先生、それに私自信に各々答えるように質問表を送ってきました。

 

わたしはいろんな検査を受けなければいけませんでした。まず始めにマジックミラーのある部屋に座らされました。反対方向からは見ている事を気づかれずに見る事が出来るのです。向こう側にはコーエン教授とわたしの二人の姉妹が座っていました。部屋には男の子と女の子それぞれのおもちゃといろんな洋服がおかれています(わたしは好きなものだけ試しました)。助手は側でわたしがおもちゃで遊ぶのをじっと観察しています。そしてわたしは質問に答え、パズルを完成させ、最後にコーエン教授といくつかの会話をしなければなりませんでした。結果は、わたしは“性同一性障害である”というものでした。

 

わたしはいくつかの血液検査も受けました:これらは好き嫌いによらず性別違和感を持つ子供達すべてが受けるものです。親のための自助グループは“ベルダッケ”と呼ばれていましたが、それがどういう組織なのかは知りません。男でもない、女でもない、中間的な第三の性を意味します。この言葉は土着の南米、北米文化に由来します。

 

昨年5月にユトレヒトで家族の集いがありました。性違和感を持つ子供達やその家族が遊び場で合いました。それはわたしが他の同様な子供たちと会う最初の時でした。マイケルはわたしを紹介すると言いました。わたしは他の子供達の居る離れに行きました。それでわたしはグイドやバレンチン、それにジャミーたちに会って遊ぶ事が出来ました。

 

大きなビルのなかには髪を染めてメイクした男達がいました。テレビに出ているイヴェットやジャークを見る事も出来ました。それはとても素敵な一日でした。次の日、わたしは自分の事を皆に話そうと決めたのです。

 

家族の集いを通して、わたしはジャミーとお友達になりました。彼に手紙を書いたり電話をしたりして付き合っています。彼と話していた時、彼がわたしに会いに行きたいと言うので母は家に泊まりがけで来るように言ってくれました。わたしは私と同じような友達が出来てとても嬉しく思っています。

 

脚注:

 

クラスメイトに話す前に、先生は子供達の両親がまずネイルスの事についてそれぞれの子供達に話して聞かせるべきだと考えクラスメイトの子供達はまず両親からネイルスのことを聞かされました。その後で私はカミングアウトすることが出来たのです。わたしはクラスメイトの子供達がはじめは理解出来ないだろうと思っていました、というのも彼らの両親ですら完全に理解していないだろうし、まして適切な説明など出来ないのではないかと思っていたからです。

 

クラスメイトに話した後、彼らはわたしにカードを送ってくれました。そこにはありのままのあなたを受け入ると書かれていたのです。

 

最近他のグループへ話をするように求められました。わたしは全く神経質になりましたし話始めると声が震えるのがわかりましたがその神経過敏状態はすぐに消え自分を取り戻して話をすることが出来ました。

 

わたしのことを知らなかったり、理解出来なかったり、そして女の子の服やイヤリングやネイルエナメルを付けている私を見たときに恐らくおかしな怪しげな人と思っているひとがまだ居ます

 

グリート・ローケマとニコール・ローケマ

(グリートはニコールの母)

 

 


 

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Translator’s note by Dr. Masao Takagaki

 

Hormonal treatment of transsexual teenagers is controversial. Whereas, in the UK, teens must experience full pubertal body changes before any medical intervention, usually at 16, in some countries, including the US, Canada, the Netherlands, Australia, Belgium, Germany and Norway, the earliest signs of puberty are blocked and then cross-sex hormones administered.

 

The mental care for kid’s GID will be more important than for adult GID. The social support for GID varies among Nations, Cultures, and Religions. Social recognition upon the GID must mature in the world beyond the Nations. And the society admitting variety of sexual modality should be more ideal one for human being.(Takagaki, M.)

 

(訳者注)

 

子供の性同一性障害(Kid’s GID)の問題の一つに性再判定手術に先立ってホルモン療法をいつから始めるかという医学的問題がある。二次性徴を止める事はtransientに良い結果をもたらす事は明らかであるが、生物学的なデメリットについては論争に決着が着いていない。二次成長を十分発現する16歳になるまでホルモン療法を行わないイギリスの方法、一方、むしろ二次成長を抑制する為に早期から二次成長を抑えた後、ホルモン療法を行うアメリカ、カナダ、オランダなどその他多数の国々の方法などあり意見が分かれている。とりわけ性再判定手術に至までの間、Kid’s GIDに対する重点的かつ学際的サポートはAdult’s GIDの場合よりも遥かに重大な問題のように思われる。

GIDに対する社会的なサポートも文化や宗教の異なる国々の間で落差が非常に大きく、社会的認識の成熟を期待したい。そして性の多様性を容認する社会の方がより豊かな社会であるように思われる。(高垣雅緒)